日々の雑記

アウトプットの場

かすみの除去について

ソニーのα7Ⅲ。サクサクと写真撮影がはかどっています。

シャッター音と操作性ってやはり重要。

カスタムボタンもいろんな人の設定を勉強。過去の設定をさらに改良。

 

瞳AFも精度が上がり、動物瞳AFも設定。

今までは使用を控えていたzeissの55mm f1.8も積極的に使用。

本当に設定を追い込めばファインダーはおろか液晶も見なくても目にピントが来たりするから撮影とはなんなのか?と疑問すら持ちます。

 

さらに戸惑わせているのがタイトルの”かすみの除去”。

これは現像ソフトのLightroomの現像中に調整できる項目だが、撮影中にも液晶確認時にも見えないものが出て来ます。(怖いものではない)

例えば

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かすみ除去 前

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かすみ除去 後

これは、、、万人受けするのは後者だと思う。

ご飯で例えたら前者が「白米」で、後者が「チーズリゾット」みたいな感じ。

イタリアとかの空は実際に真っ青らしくて日本人と色彩感覚が違うのは仕方ないとある方に話を聞いたばかりだった。

この写真だけでなくほとんどの写真はこの”かすみの除去”を使うとそれはそれは味付けの濃いわかりやすい写真になっていくのである。

写真撮影時にはRAWで撮ることが増えた。それはできる限りの情報量を余すことなく残したい気持ちと、撮影後に現像という名のレタッチを望んでいるからかもしれない。

フィルム時代に比べて撮影のミスも減り、フィルムを選ぶこともなくなった。

便利ではあるが写真=真実を写す、から別の言葉になったのかも知れない。

表現の幅が広まったといえばその通りである。

ただ作風も簡単に真似できてしまうこともある。

FBやInstagramツイッターなどあらゆるところで写真に溢れている。

似たような写真もあるし素晴らしい写真もある。

アウトプットされた写真は加工されやすいとはいえ製作者の少なくとも伝えたい何かが入っているはずだ。(完全オートメーションの現像などは除く)

良いアウトプットは膨大なインプットから産まれると信じてあらゆるものを吸収して解釈してそれを表現していくことが大事なのかも知れない。

日々の生活でも常になにかを感じ取り、アウトプットの表現に蓄積したものを出せるようにしたい。その中で使う”かすみの除去”であれば・・・。

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牛模様の猫